金魚をやろうと思った理由

お休み

みなさん、こんにちは!深見養魚場の深見雄基です。今日はお仕事やすみをいただいていたので、日報ではなくコラムみたいな感じで、自分の思い、考えを書いていこうと思います。

金魚をやろうと思った理由。

正直、様々な理由があります。弟が辞めたこと、祖父母父母が築いてきた深見養魚場、自分で切り拓く、自分の人生は一度切り、弥富が好き。

弟が辞めたこと。

僕が今日食生活を送っているときには弟が父母とともにやっていました。その弟が辞めてしまったため、深見養魚場は父の代で廃業が現実的なものとして自分の前に出てきました。もう、深見養魚場が続いていくために、継ぐことができるのは自分だけでした。妹もいますが、力仕事なので、あまり現実的ではないかなと思うので、なおさらです。

祖父母父母が築いてきた深見養魚場。

小さいころから、祖父母父母が深見養魚場の魚を作ってきました。その中で、築かれてきた世間からの評価、祖父母父母の苦労、いろいろなものがあって今の深見養魚場があります。更に、祖父は桜錦、父は青ランチュウ、青秋錦を改良し作出しています。新品種の作出。これは、今働いてみてわかったことですが、品種ごとのこだわり。どの要素をとっても、先人たちあっての深見養魚場だなと実感する次第。そう考えると、自分にとってとても魅力的なものに映りました。ゆくゆくは修行を終えて父から継いだ時に、続けるだけではなく、もっと発展したものにできるようにしようと、そこまではやろうと思えなかったけど、今はそう思って日々過ごしています。

自分で切り拓く。

上のほうでも述べたのですが、やっぱり将来、今も必ず自分で切り拓いていかないといけない。ここも大きな魅力でした。教職員として、38年生徒とともに過ごすこと、そこにも魅力があります。ただ、やはりこの金魚という仕事は自分次第、自己責任、その代わり自分がやろうと思い、挑戦すればなにかは絶対変わっていく。自分で切り拓いていけること、そこも魅力の一つです。実際に、ちょっとした取り組みかもしれませんが、SNSをこうやって日々更新することで皆さんに認知してもらい、時には催し物のときに声をかけてもらいます。ありがたいことです。これが、実際にSNSをやっていなければ、深見養魚場で修行している深見雄基は認知されていません。小さなことも大きなことも挑戦し、未来を自分で切り拓ける、これも魅力の一つです。

自分の人生は一度切り。

正直、教職員の代りは何人もいます。自分がいなくなれば補充されます。それが、正規、常勤、非常勤かは置いて置いて。ただ、深見養魚場の後継ぎは何人もいません。家族で経営しています。家族でここまでやってきました。それを受け継いで深見養魚場の金魚を作っていく。教職員と天秤をかけたときに自分自身、世間からどちらを必要とされるか考えたときに深見養魚場の金魚を作り、後世へつないでいくことだなと思います。世間からの評価より、自分自身はどうあるかが大切だけれども、そう思いました。

弥富が好き。

僕は、弥富市の鍋田町というところで生まれ育ちました。すごくいいところです。近所の人たちは昔からかわいがってくれて優しくしてくれて頼りになるし。弥富市は田舎かもしれないですけど、人の魅力にあふれた町だと僕は思います。そして、弥富といえば金魚。後継者不足はとても深刻な問題です。金魚はこのままいくとなくなってしまう。金魚のない弥富市、僕はそれではいけないと思います。過去、金魚に携わった人々は膨大にいます。そんな人たちが築いてきた歴史を終わらせたくないです。金魚は弥富のアイデンティティの一つです。自分の育った場所の歴史がある産業に貢献できること、これも魅力かなと思います。弥富市好きですから。

色々と思うことありますが、ここまでにしておきます。また、思いついたら補完します。

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